登場人物:
黒助(くろすけ) … 吉原にも詳しい歴史通の黒猫。お喋りが止まらない。
しろさん … 50代のおばさん。涙もろくて情に厚い。
花魁「薄雲太夫」ってどんな人?

今日は、江戸時代・元禄年間、18世紀前半の吉原にいた超有名な花魁、薄雲太夫(うすぐもたゆう)のお話ニャ。

出典:太田記念美術館「古今比売鑑 薄雲」大判 明治8~9年(1875~76)

花魁って、あの豪華な衣装で街を歩くスターみたいな人でしょ?

そのとおりニャ。薄雲太夫は三浦屋という有名な遊郭のお抱えで、大人気だったニャよ。
薄雲太夫と「玉」という猫

それでそれで?薄雲太夫って、猫好きだったの?

大の猫好きニャ!特に「玉」っていう三毛猫を溺愛してたんだニャ。なんと…
- 部屋にいるときのずっと抱っこ
- 花魁道中でも猫を抱いて歩いた
- 猫専用の友禅の布団を用意
- 首輪は緋ちりめん、鈴は純金!

えぇー!!純金の鈴!?ゴージャスねぇ!

周囲の人が「猫になりたや、三毛猫に」なんて嫉妬したって話ニャ。先ほどの月岡芳年(1839-1892)が描いた薄雲太夫の浮世絵を、よく見て欲しいニャ。


すごいわね!かんざしや着物のがらも猫にしてる!!猫好きとして親しみを感じるわね。
三浦屋の苦悩

でも、そんなに猫ばかり可愛がってたらお店の人も困っちゃうんじゃない?

そのとおりニャ!三浦屋の主人は心配したんだニャ。
「このままじゃ商売に支障が出る」って。だから主人は、薄雲に「猫を捨てろ」って迫ったニャ。

ひどいわ!そんなの。

でも薄雲太夫は絶対イヤだって拒否したんだニャ。
仕方なく三浦屋は強引に猫を取り上げたんだけど、それで薄雲はショックを受けちゃって…。
- 病気と称して引きこもり
- お座敷にも出ない
大サボタージュを決め込んだニャ。

うふふ。花魁界のストライキ!

三浦屋も慌てたニャ。だって薄雲太夫は超ドル箱。彼女が休むだけで、大損害ニャ!結局、しぶしぶ猫を返して、飼い続けるのを許したんだニャ。
運命の日

その後がとんでもない話になるのよね…。

そうニャ。閲覧注意だニャ。ある日、薄雲がトイレへ行こうとしたとき、「玉」が急に異様に殺気立って裾を咥えて引き留めたんだニャ。

猫が裾を引っ張るなんて、なんか必死だわ…。

けど薄雲はビックリして猫を振り払ってしまったんだニャ。
そこへ「化け猫だ!」と三浦屋の主人が飛び込んできて――
「この化け猫め!」
そのまま一刀のもとに首をはねたニャ!!

ギャー!
玉の最期の力

ところがニャ、ここからがすごい。
猫の首は胴体から飛び離れてトイレの天井に飛んで行き、そこに潜んでいた大蛇にガブリ!!
- 天井から蛇を引きずり落とす
- 息の根を止めるまで噛みつき続ける
そうやって薄雲を助けたんだニャ。

玉ちゃん…!
西方寺の猫塚と猫の像

その後、三浦屋の主人はどうしたの?

自分が猫を殺してしまったことを深く悔やんで、西方寺というお寺に供養して猫塚を建てたんだニャ。

供養してくれて少し救われるわねぇ…。

そのあと、薄雲を贔屓にしていた日本橋の唐物屋さんが、悲しむ薄雲を心配して、長崎から珍しい伽羅(きゃら)の銘木を取り寄せて、玉そっくりの彫刻を作って贈ったんだニャ。
招き猫誕生へ!

伽羅ってお香の高級品でしょ!?猫の彫刻にするなんて、すごい豪勢ねぇ…。


そうニャ。薄雲太夫はその彫刻をとても気に入って、どこへ行くにも手放さなかったんだニャ。
そしてその彫刻の写しが、浅草の年の市で売り出されたニャ。
「客を招く幸運のアイテム」って評判になり、商売人の間で大ヒット!
それが「招き猫」のはじまりとも言われてるニャ。

玉ちゃんの想いが、今も福を招いてるんだね…。
関東大震災と西方寺(猫塚)の移転

ところで、その猫塚は今でもあるのかしら?

関東大震災で残念ながら壊れてしまったニャ。お寺も移転して、今は東京豊島区に移っているニャ。そこには招き猫の像が、今も大事に安置されてるニャよ。(これは薄雲太夫が奉納したという猫の彫刻にちなんで作られた…と言われているニャ。)
震災で欠けてしまってるけど、片手をあげているように見えるニャ。

出典:東京散歩トリビア

良かった…。歴史は移っても、心は残るのねぇ。
まとめ:玉ちゃんはヒーロー!
- 薄雲太夫は大の猫好き
- 「玉」という三毛猫を溺愛
- 玉は大蛇から薄雲を救って命を落とす
- 猫を悼んで彫られた像が、招き猫のルーツに!?

黒助、今日からうちの招き猫に「玉ちゃん」って名前つけるわ!

オレの名前も忘れないでほしいニャ…。
コメント